「律法か 真理か」
(ヨハネ
7:40-52)8月26日礼拝説教要旨
これまでに数々の奇跡を行い、多くを
教えてきたイエスに対する、群衆の反応
が示される場面。イエスを好意的に評価
する人々もいた。「メシアだ」という評価
などはピッタリだと思うが、当時のメシ
ア観は政治的解放者としてのメシア待望
であったため、真の救い主であるイエス
にはあてはまらない。
他方、イエスの表面的なことだけを捉
えてイエスを否定する者もいた。偏見や
先入観によって、正しく判断することが
出来ない人間の姿を考えさせられる。
しかし好意的であれ否定的であれ、群
衆は心からイエスを救い主とは信じなか
った。
信仰心があって、聖書の知識を持
っていても、イエスとの人格的交わりが
なければ意味がないのだと示される。
しかし現代を生きる私たちにとって、
イエスとの人格的交わりとは何か。それ
は、今も生きて働かれるイエスを信じる
という事であり、弱さや欠け、破れに満
ちたそのままの私を主にゆだねると言う
事である。そこに真の悔い改めがなされ、
神の赦しが与えられる。
後半の場面に登場するニコデモは、イ
エスとの出会い・人格的交わりによって、
ゆっくりではあったが変えられていった。
表面的なことに惑わされることなく、
見えない神の導きという真理を信じて、
誠実に歩んで行きたい。難波信義牧師