2012年12月13日木曜日


「招きと選び」(マタイ22:1-14) 10月7日説教要旨難波信義牧師

イエスが語った「婚宴」の譬え。王が王子のために婚宴を催し「招いておいた人々」を招くが、彼らはそれを無視し、王の家来がやってきて直接招いても、仕事に出かけ、さらに王の家来を殺してし
まう。この譬えでの王は神である。そして家来とは旧約の預言者たちであり、さらに殺された家来はイエスをさしているのではないか。預言者たちは何度も神の裁きを告げたが、イスラエルの民はそれを無視した。また神の子イエスを認めず、十字架にかけて殺してしまった。

さて、この譬えで王は、善人も悪人も婚宴に招いている。ところが「礼服を着ていない者」を見つけ排除したのだ。この譬えの最も難解な部分である。
この「礼服」とは何か。聖書において「衣」は「正義」や「正しい行い」を示す。さらに「晴れ着」つまり「礼服」は「罪の赦された状態」であり、それは私たち自身の「新しい生き方」を示す。

王は全ての者を招いた。つまり神は私たち全ての一人一人を招いている。その上で、私たち自身の態度が問われているのである。その招きに応え、自らの罪や弱さを告白し「新しい生き方」へと歩みを進める、その変化が求められている。全てが整えられた礼拝に、喜びをもって集う私たちでありたい。
難波信義牧師