2012年12月13日木曜日
「ふさわしい実を」(マタイ3:7-12)11月11日説教要旨
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。( 7-8節)」洗礼者ヨハネの言葉である。この非常に厳しい言葉は、ヨハネのもとに来て洗礼を受けようとしていたファリサイ派やサドカイ派の人々に対して語られた。
ファリサイ派は、律法を重んじ、会堂や学校で律法を教える、当時においては最も真面目なグループだと言える。またサドカイ派は神殿に仕える祭司たちを中心としたグルーブであり、彼らも宗教指
導的立場にあった。しかしその一方で、「律法を守る」「儀式を守る」という「行為」を重んじる事によって、形式主義に陥っていたのかも知れない。ヨハネはそれを鋭く見抜いて「悔い改めにふさわし
い実を結べ」と言った、すなわち「形式だけの悔い改めでは、神の怒りは免れ得ない」と言ったのだった。
このヨハネの教えは、今を生きる私たちにも迫る。すなわち「内実の伴った行いをしなさい」と。礼拝を通して神を知った私たち/イエスに出会った私たちが、今を/これからを、どのように生きるの
か、その事が鋭く問われる。クリスマスも「形式」としてではなく、内実を伴う決意を持って迎えたい。
難波信義牧師