2012年12月13日木曜日
「イエスと一緒に」(一テサロニケ4:13-14)11月4日説教要旨
「召天者記念礼拝」にあたり、信仰の先達・信仰の友を覚えている。と同時に私たち自身の死を覚え、死に至るまでの「生」について考えさせられる。中世の修道士たちが日々の挨拶として交わしていた「メメント・モリ(あなたの死を覚えよ)」については、昨年も触れた。
「死」をタブー視する社会にあっては、このような挨拶は悲観的・絶望的な持ちを持ったものだが、キリスト教では「全ての人が死に定められている」という、一見、何の希望もないところから「生きる」という事を考えようとする宗教である。「死」を起点とする「希望」について考える宗教なのである。パウロは言う。「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」キリストにあって死んだ者は、キリストと同じように、死にとどめおかれる事はないのだ。
イエス・キリストは死という絶望と虚無を打ち破り、新しい復活の命、新しい「生」へと私たちを導き出してくださる。「死」は絶対の終わりではなく、死を超えて結ばれる交わりを、私たちは信じて、今を生きるのである。ここに信頼と希望をおいて、今の「命」を生きたい。
難波信義牧師