2014年6月4日水曜日

先 週 5月18日の 説 教 要 旨

「主につながる」

(ヨハネ15:1-11) 難波信義牧師

「わたしはまことのぶどうの木(1)」
と始まる非常に有名な御言葉だが、ここ
だけに留まってしまうと、イエスが伝え
ようとしている本当の意味を聞くことは
出来ない。イエスが「まことの」と言わ
れたという事は、「まことならざる」ぶど
うの木もあるという事だ。それは選民思
想に安住し、神への感謝を忘れている人
々である。そのような「実を結ばない枝
はみな、父が取り除かれる(2)」。
だからこそイエスは「わたしにつなが
っていなさい(4)」と言われる。ぶどう
の枝は幹と根から吸い上げられる栄養分
によって成長し、生きる。それが途絶え
る時、枝は枯れる。このように私たち一
人一人は、自らの力で立ち、育ち、生き
るのではなく、幹なるイエスによって、
また整える農夫なる神によって整えられ、
生かされているのである。
真につながるべき対象を軽んじ、人間
の軽率な思いをもって目に見えるものに
固執し、依存しようとする…。しかし真
に依存すべきは主であり、そこから教会
生活・信仰生活を守って行くのが、私た
ちの本来の在り方なのである。
「私につながっていなさい」と繰り返
しイエスは宣言し、一人一人を愛と信頼
に満ちた言葉によって、いつも引き戻そ
うとしておられる。その愛に、真に応え
る者でありたい。