2014年9月10日水曜日

8月24日の 礼拝説 教 要 旨

「無力なままで」

(マルコ10:13-16) 難波信義牧師

イエスが子どもを祝福するという、と
ても短い場面だが、中心は「子どもたち
をわたしのところに来させなさい。妨げ
てはならない。神の国はこのような者た
ちのものである。はっきり言っておく。
子どものように神の国を受け入れる人で
なければ、決してそこに入ることはでき
ない。(14-15節)」である。
特に、子どもは神からの賜物・祝福の
しるしと捉えられる反面、未熟さゆえに
律法を守る事のできない愚かな存在と捉
えられていた背景にあって「、子どもたち
をわたしのところに来させなさい」と語
られたイエスの言葉に大きな意味がある。
さらにイエスは「子どものように神の
国を受け入れる人でなければ…」と言わ
れた。イエスがここで言わんとする事は、
子ども特有の純粋さや素直さ(さらにそ
こから来る残酷さ)についてではなく、
無力さなのである。子どもたちは、保護
者の助けなしには生きて行けない。しか
し、そのような者こそ、神の救いにあず
かるのである。イエスはこの観点・視点
を持って、当時の社会においては、全く
無力で、取るに足らない小さな子どもを
(また小さくされた存在を)、その無力さ
故に、「そのような者こそ神の救いにあず
かるのだ」と宣言され、喜んで抱き上げ、
祝福してくださるのである。
無力なままで主の前に立ちたい。