2014年9月10日水曜日
9月7日 の 礼拝説 教 要 旨
「わたしの息子なら」
(マルコ12:1-12) 難波信義牧師
「ぶどう園と農夫」というイエスの譬
え話であるが、譬えられている事は分か
りやすい。ぶどう園の主人は神であり、
そのぶどう園はイスラエル、そして農夫
はユダヤ人たち・特に律法学者、祭司長
という宗教指導者たちである。そして主
人に遣わされるしもべたちは過去の預言
者たちであり、主人の息子はイエスであ
る。と言う事は、この譬えは、ユダヤ人
指導者の失敗話というただそれだけの意
味なのだろうか。
もちろん、そうではない。愚かに映る
農夫たち、すなわち宗教指導者たちだが、
その姿は私たちの姿でもある。地球資源
の奪い合い、環境破壊、領有権争いなど、
まるで「世界の所有者は人間である」と
言わんばかりの愚行は、「農夫が農夫であ
る事をわきまえていない」象徴である。
個人的な事においても、一人一人の能力
や富は、神から託されているものであり、
神の栄光のために用いるためのものであ
るのに、「私の人生をどうするか」という
事しか考えない。
そんな私たちに、神は破壊的裁きでは
なく、農夫としてわきまえるよう教える
ために何度もしもべを遣わし、最後にイ
エスを遣わされたのである。この招きを
自覚しつつ、感謝して歩みたい。