2014年10月16日木曜日

 9月21日礼拝説 教 要 旨

「感謝と献身のしるし」
(マルコ12:38-44) 難波信義牧師

前半にある「律法学者を非難する」と
いう場面では、イエスが批判した律法学
者たちの姿が目に浮かぶようだ。自分の
権威を振りかざし、人々から重んじられ
ること喜び、弱い人々を足蹴にしながら、
外見は敬虔さを装う、実に偉そうな姿…。
しかし彼らは最初、神に仕える働きに身
を献げて、謙虚にスタートしたはずであ
る。「献身」の思いを持っていたのだ。と
ころが「律法の権威」は「自分の権威」
へとすり替わってしまった。彼らの関心
が「神の目」から『人の目』に移ってし
まった。これを指して、イエスは「律法
学者に気をつけなさい」と言われた。
「人の目」について考える時、後半の
「やもめの献金」の場面が示される。貧し
いやもめが、全財産であるレプトン銅貨
2枚(現在の日本円で7〜80円)を献
げた。もし彼女が「この程度で、何の役
に立つのか」と考えていたら、献げるこ
とはできなかっただろう。彼女は「自分
の目」を含めた「人の目」ではなく「神
の目」だけを考えて献げた。神に信頼し、
神に委ねて、貧しい自分をそのまま、神
に献げたのである。
私たちも、礼拝を通して自分自身を神
に献げる。その象徴的な行為・「感謝と
献身のしるし」が「献金」なのである。