12月14日の日曜礼拝教 要 旨
「問われる信仰」
(ルカ1:5-25)
難波信義牧師
ルカによる福音書では、イエス誕生の
予告(1:26以下)の前に、洗礼者ヨハネ
の誕生が予告されるという出来事を記す。
その内容を見ても、ザカリアは長年祈り
願い続けていた我が子の誕生が、実現す
ると告げられて、それを信じることが出
来なかったために、「口が利けなくなる」
という裁きを受けたが、続く場面でのマ
リアは、ザカリア同様、信じられずに驚
くが、天使からの「神にできない事は何
一つない」との言葉に、すぐに「わたし
は主のはしためです。お言葉どおり、こ
の身になりますように。」と答えた。この
対比が、ルカの意図した編集である。
ザカリアも決して不信仰ではなかった。
「非のうちどころがない」とまで記されて
いたのだ(6節)。しかし彼には「神にで
きない事は何一つない」との確信が無か
った。神に祈りながら、神に信用してい
ないとすれば、これほど妙な事はない。
しかし「、神にもやっぱり出来ないことが
ある」とあきらめた時、神を人間と同じ
レベルにまで下げてしまい、信用しきれ
なくなってしまう。ザカリアの姿は、紛
れもない私たちの姿なのである。
クリスマスを前に、私たちの信仰が問
われている「。神にできない事は何一つな
い」との確信を新たに歩み出したい。