2015年2月26日木曜日

12月14日の日曜礼拝教 要 旨

「問われる信仰」 (ルカ1:5-25)

 難波信義牧師

ルカによる福音書では、イエス誕生の 予告(1:26以下)の前に、洗礼者ヨハネ の誕生が予告されるという出来事を記す。 その内容を見ても、ザカリアは長年祈り 願い続けていた我が子の誕生が、実現す ると告げられて、それを信じることが出 来なかったために、「口が利けなくなる」 という裁きを受けたが、続く場面でのマ リアは、ザカリア同様、信じられずに驚 くが、天使からの「神にできない事は何 一つない」との言葉に、すぐに「わたし は主のはしためです。お言葉どおり、こ の身になりますように。」と答えた。この 対比が、ルカの意図した編集である。 ザカリアも決して不信仰ではなかった。 「非のうちどころがない」とまで記されて いたのだ(6節)。しかし彼には「神にで きない事は何一つない」との確信が無か った。神に祈りながら、神に信用してい ないとすれば、これほど妙な事はない。 しかし「、神にもやっぱり出来ないことが ある」とあきらめた時、神を人間と同じ レベルにまで下げてしまい、信用しきれ なくなってしまう。ザカリアの姿は、紛 れもない私たちの姿なのである。 クリスマスを前に、私たちの信仰が問 われている「。神にできない事は何一つな い」との確信を新たに歩み出したい。