2015年2月26日木曜日

1月11日の日曜礼拝説教要 旨

「聖霊と火で」 (ルカ3:15-22)

難波信義牧師

洗礼者ヨハネが現れて、人々に「悔い 改めの洗礼を宣べ伝えた(3節)」場面。 確信に満ち、力強く語るヨハネに、人々 は「彼こそ、来るべきメシアではないか」 と期待した。 しかしヨハネはそのような期待を否定 して言う。「わたしよりも優れた方が来ら れる」「その方は、聖霊と火であなたたち に洗礼をお授けになる」と。ここにはヨ ハネなりのメシア観が込められている。 すなわち脱穀場で麦と殻を分けるように、 聖霊(聖なる風)で、救われる者とそう でない者とを分け、殻が火で焼かれるよ うに裁きを行う、そのようなメシアの姿 である。さらに「隅々まで」という言葉 に示されるように、それはユダヤ人であ ってもローマ人であっても、全ての者が 神の前に問われるというのである。 しかし実際に来られたメシア(救い主) イエスは、そのイメージとは異なる。聖 霊は「裁きの風」としてではなく、神の 言葉をともなって、静かに鳩のように降 った(22節)。さらにイエスは罪人と同 じ列に並ばれ、同じ水の中に沈んだ。 それは、厳しい裁きの現実を覚えるこ とと同時に、「私たちと共にいてくださる 救い主」ということを豊かに示す出来事 であり「、主にある平安」を覚えることな のである。 【 集 会