2015年2月26日木曜日

2月8日の 日曜礼拝説 教 要 旨

 「キリストの名によって」 (使徒3:1-10)

 難波信義牧師

ペトロが足の不自由な男をいやした場 面。この足の不自由な男は、当時の社会 で二重の苦しみを受けていた。それは、 他人からの施しを乞わなければ生きて行 けないという苦しみであり、それ以上に、 因果応報の信仰により(参照:ヨハネ9 章)、様々な病や不幸が全て「罪のゆえの 神の罰」だとされ、人々から見放され、 彼自身も、そのように信じ、生きていた という事である。彼が「置かれていた」 のは神の恵みを豊かに示す「美しい門」 であったが、悲しいことに、人々も・彼 自身も、神の恵みとは無関係な「生」が そこにあった。 その彼に、ペトロを通して「イエス・ キリストの名」が与えられた。そして彼 の人生は根本的に変えられた「。神の恵み は自分とは無縁だ」と思っていた彼が、 神を賛美しながら礼拝の場へと向かった のである。全く新しい「生」へと導かれ たのである。 この場面を通して、教会への明確な使 命が示される。彼が全く変えられたよう に、神を誉め讃え、神に期待し、神と共 に、また信じる人々と共に、前に向かっ て歩み出す…、そのような「イエス・キ リストの名」を人々に指し示すことであ る。そのためにもまず、私たち自身がし っかりと「イエス・キリストの名」を受 け取って歩みたい。