マキシミリアン・コルベ神父は1930年来日。6年間長崎で「聖母の騎士会」の活動をした。ポーランドに帰国後、1941年8月15日、奇しくも聖母マリア被昇天祭の日、アウシュヴィッツ収容所で召天した。
ナチスに協力しないコルベ神父は収容所送りになる。脱走があった時、同じ収容者棟の全員が起立させられ、餓死刑室送りになる10人が選び出された。この時、神父は号泣するガヨヴィニチェクの身代わりになる。餓死刑室からは賛美が聞こえていたという。コルベ神父は他の9人を最後まで看取り、最終的に毒殺される。
解放後、ガヨヴィニチェクは息子2人の戦死を告げられ、神父を死に追いやったとして冷たい視線を浴びる。しかし数年後、尊い犠牲が無駄にならないように、コルベ神父の愛を伝える決意をする。
私たちは日本人として先の戦争の犠牲を無駄にしてはならない。またキリスト者としては、十字架にかかられた主イエスの犠牲を無駄にしてはならない。私たちには、尊い犠牲が無駄にならないように語り継ぎ、広く伝えていく使命がある。 山下慶親牧師
2009年8月20日木曜日
2009年8月12日水曜日
(ダニエル書3:1-18)8月9日説教「たといそうでなくても」
ダニエル書は前6世紀のバビロン捕囚の物語である。ユダ王国の少年たちは捕囚の地で成長し、優れた能力を発揮してネブカドネツァル王に重用された。しかし大きな試練に直面する。金の像を拝まなければ、燃え盛る炉に投げ込まれるとの命令が出されたからである。この時、彼らは偶像崇拝を敢然と拒否した。ダニエル書は、神にこそ従うべきであることを主張した文書となっている。
ダニエルは実在の人物ではない。ダニエル書は400年昔の物語として、前2世紀に書かれた。当時はシリアが支配し、アンティオコス四世がユダヤ人の信仰を踏みにじり、大迫害を加えていた。ダニエル書は勇気と力と希望を持つように励ましている。
先の戦争で、日本のキリスト教界は、神ならぬ天皇を崇拝し、神社参拝を行った。殉教も辞さない姿勢はなかった。日本人にとって、確かに戦争は繰り返してはならないものである。それ以上に、日本のキリスト者にとって、戦時下の信仰的な過ちこそ繰り返してはならない。 山下慶親牧師
ダニエルは実在の人物ではない。ダニエル書は400年昔の物語として、前2世紀に書かれた。当時はシリアが支配し、アンティオコス四世がユダヤ人の信仰を踏みにじり、大迫害を加えていた。ダニエル書は勇気と力と希望を持つように励ましている。
先の戦争で、日本のキリスト教界は、神ならぬ天皇を崇拝し、神社参拝を行った。殉教も辞さない姿勢はなかった。日本人にとって、確かに戦争は繰り返してはならないものである。それ以上に、日本のキリスト者にとって、戦時下の信仰的な過ちこそ繰り返してはならない。 山下慶親牧師
2009年8月4日火曜日
(出エジプト記20:1-20)8月2日説教「神のみを神とする」
イスラエルの民はエジプトで奴隷の重労働を強制されていた。神は彼らを解放へと導き、十戒は神の恩恵に対する応答として守るべき戒めとされた。
日本は軍国主義の支配から解放されて、平和憲法を持つに至った。長い試練を経た後に公布された点で、十戒と日本国憲法には共通点がある。私たちは、十戒の場合と同様に、憲法を大事にしていくことが求められている。
平和聖日にあたって、戦争の悲劇を繰り返さないためにも、戦争が十戒の各条項を破るものであることを再認識したい。戦時下では、神ならぬ天皇を現人神として、神社参拝と戦勝祈願が強制された。聖日礼拝は自由に行えず、徴兵制は親子の絆を断ち切った。日本軍は侵略した先々で無数の人を殺傷し、婦女子を暴行し、食糧や物資を盗み、資源獲得を狙った。国内では真実が言えず、報道は統制され、子どもたちには嘘が教えられた。
神ならぬものを神とせず、平和ならぬものを平和と呼ぶこととならないように、平和への思いを新たにしたい。 山下慶親牧師
日本は軍国主義の支配から解放されて、平和憲法を持つに至った。長い試練を経た後に公布された点で、十戒と日本国憲法には共通点がある。私たちは、十戒の場合と同様に、憲法を大事にしていくことが求められている。
平和聖日にあたって、戦争の悲劇を繰り返さないためにも、戦争が十戒の各条項を破るものであることを再認識したい。戦時下では、神ならぬ天皇を現人神として、神社参拝と戦勝祈願が強制された。聖日礼拝は自由に行えず、徴兵制は親子の絆を断ち切った。日本軍は侵略した先々で無数の人を殺傷し、婦女子を暴行し、食糧や物資を盗み、資源獲得を狙った。国内では真実が言えず、報道は統制され、子どもたちには嘘が教えられた。
神ならぬものを神とせず、平和ならぬものを平和と呼ぶこととならないように、平和への思いを新たにしたい。 山下慶親牧師
(コヘレト11:9-12:1;ヘブライ1:32-11:2 7月26日説教「確信を捨ててはいけません」
草葉町教会は二度の大試練に遭遇した。1つは終戦直前の7月1日、空襲で会堂が焼失したことである。もう1つは1953年6月、大水害で会堂・牧師館が浸水被害に遭ったことである。国宗晋兄は教会百年誌に、「前の会堂は(建築後)十年にして焼失、今回は建築後四年にして水魔に襲われる。天意果たして何所にありや」と書いている。しかし、私たちが思い出すべく問いかけられているのは試練自体ではなく、試練を克服していった教会員たちの信仰である。 旧約「コヘレトの言葉」には、「若い日に造り主を覚えよ」という言葉がある。二度の試練を思うと、若い日の信仰を保ち続けて、空襲や水害の中から教会を復興させていった人々について考えさせられる。「ヘブライ人への手紙」の著者は、「自分の確信を捨ててはいけません」と言って、励ましを与える。私たちは、数十年前に焼け跡や泥土となっていた同じ場所に立って、礼拝している。信仰の確信を大事にしていきたいと思う。山下慶親牧師
2009年7月22日水曜日
(レビ13:1-8;ヨハネ9:1-12)7月19日説教「遣わされた者として」
ここで注目すべきは弟子たちの質問である(2節)。この背景には、「病気や不幸は皆、罪に対する正当な罰だ」という「応報思想」がある。
しかし、イエスは「本人でも、両親でもない(3節)」と答える。この言葉は、自らの「病」が応報思想から来る「罪の現れ」であると信じ、社会的抑圧を当然の事として受けて来た人々への、驚きと解放の言葉ではないか。と同時に、私達に対する、意識の変革を求めているようにも感じられる。
更にイエスは言う。「神の業がこの人に現れるためである(同上)」と。「この病人において、神の業が明らかにされるべきである」「病を通して神の業は豊かに実現する」と語る。
私達の「意識」によって犯してしまった、「ハンセン病」という病気を排除するために、その「人間」を排除していたという事実。今後、同じ過ちは犯してはならない。また、この事に限らず、私達に与えられたそれぞれの場面で、私達一人一人の在り方が問われる。 難波信義牧師
しかし、イエスは「本人でも、両親でもない(3節)」と答える。この言葉は、自らの「病」が応報思想から来る「罪の現れ」であると信じ、社会的抑圧を当然の事として受けて来た人々への、驚きと解放の言葉ではないか。と同時に、私達に対する、意識の変革を求めているようにも感じられる。
更にイエスは言う。「神の業がこの人に現れるためである(同上)」と。「この病人において、神の業が明らかにされるべきである」「病を通して神の業は豊かに実現する」と語る。
私達の「意識」によって犯してしまった、「ハンセン病」という病気を排除するために、その「人間」を排除していたという事実。今後、同じ過ちは犯してはならない。また、この事に限らず、私達に与えられたそれぞれの場面で、私達一人一人の在り方が問われる。 難波信義牧師
2009年7月16日木曜日
(ルカ福音書5:17-26)7月12日説教「瓦をはがす」
古代ユダヤでは、病気は自分の罪が原因だと考えられた。重病は大きな罪を犯したからであった。そのため不治の病の人々は身体的重荷に加えて、罪人という心理的・宗教的重荷が課せられていたことになる。このことを考えると、イエスが病気を癒された時、「罪は赦された」と宣言された背景が分かる。
「罪を赦す権威」を持つイエスには、豊かな人間性があった。そのことは重い皮膚病の人を癒された時、社会的タブーを犯して、「手を差し伸べてその人に触れ」られたことからも分かる(ルカ5:13)。このようなイエスは、中風の人を運んで来た人々の熱心な思いに目をとめられた。彼らは病人をなんとかしてイエスに会わせるため、屋根の瓦をはがして床ごとつり降ろした。イエスは病人を思い遣る彼らの期待に応えて、癒しの奇跡を行われたのであった。
現代でも奇跡は起こる。屋根の瓦まではいだ人々のように、なんとかしてイエスに会わせようと労を惜しまない人々がさまざまな場所で求められている。 山下慶親牧師
「罪を赦す権威」を持つイエスには、豊かな人間性があった。そのことは重い皮膚病の人を癒された時、社会的タブーを犯して、「手を差し伸べてその人に触れ」られたことからも分かる(ルカ5:13)。このようなイエスは、中風の人を運んで来た人々の熱心な思いに目をとめられた。彼らは病人をなんとかしてイエスに会わせるため、屋根の瓦をはがして床ごとつり降ろした。イエスは病人を思い遣る彼らの期待に応えて、癒しの奇跡を行われたのであった。
現代でも奇跡は起こる。屋根の瓦まではいだ人々のように、なんとかしてイエスに会わせようと労を惜しまない人々がさまざまな場所で求められている。 山下慶親牧師
(Ⅱコリント13:11-13)7月5日説教「恩寵のもとで」
同志社の神学生・辻密太郎は、1885年7月1日、熊本に向けて京都を出発した。9ヶ月の滞在で21名の受洗者が出て、教会の基礎が築かれた。しかし伝道は困難で、熊本英学校閉鎖後は教会の存亡さえ危うかった。教会創立百周年の記念誌を読むと、さまざまな困難があったことが分かる。財政以上に無牧期が大きな困難であったが、信徒の福田令寿さんや国宗晋さんが説教を担当して礼拝が継続された。
三井久牧師赴任後、熊本バンド記念会堂を建築し、関係資料保存の計画が立てられた。1936年、会堂完成。しかし新会堂は熊本空襲で全焼、貴重な資料も失われた。7月1日は「創立」記念日であると同時に「焼失」記念日となっている。4年以上会堂がなかったが、礼拝は続けられた。教会を愛する人々の熱意があったこと、神の「恩寵のもとで」歩むことの意味を考えさせられる。 来年は創立125周年。百年以降の歴史も書き残すことが大事である。幾多の問題は今もあるが、主に信頼し、先達に続きたい。神の豊かな恩寵があることを祈る。 山下慶親牧師
三井久牧師赴任後、熊本バンド記念会堂を建築し、関係資料保存の計画が立てられた。1936年、会堂完成。しかし新会堂は熊本空襲で全焼、貴重な資料も失われた。7月1日は「創立」記念日であると同時に「焼失」記念日となっている。4年以上会堂がなかったが、礼拝は続けられた。教会を愛する人々の熱意があったこと、神の「恩寵のもとで」歩むことの意味を考えさせられる。 来年は創立125周年。百年以降の歴史も書き残すことが大事である。幾多の問題は今もあるが、主に信頼し、先達に続きたい。神の豊かな恩寵があることを祈る。 山下慶親牧師
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